アメリカ人→その場でクレーム 日本人→その場は我慢し帰国しブログで悪口 外人「日本人は静なる爆弾」


痛いニュース」経由で見かけたネタですが、面白かったので触れてみます。
「J−CAST」における『「タイガーマスク」「Silent Bomb」…匿名で目立ちたがる日本人』という記事は、日本人の国民性を扱ったものですが、読んだ印象として執筆者に日本人らしさを感じませんでした。
例えば、匿名の寄付は、私の感覚からすれば「自分の顔や名前が目立つのを避けて、当人達に直接善意を届けたい」という認識なのに、記事上では「(誰に対するものか不明な)照れ屋のふりをした(名前も顔も出さないのに)目立ちたがり」と記述されています。
執筆者は言葉の選択が批判的だし、日本人の心情に共感を持てない人間のように感じました。
また、後半部における「Silent Bomb」関連についても、どの国のどのホテルで起きた事例なのか? 減少したのはいつからいつにかけてか? その割合がどの程度か? 日本人におけるブログ使用者の割合は? クレームをつけた人間は帰国後にブログへ記述していないのか?
そんな情報が不足しており、明確な根拠に基づいた記事とは思えません。


私は英語が苦手だし、海外旅行をしたことすらありません。しかし、この記事で取り上げられている事例は受け入れやすいものでした。
執筆者は「その場でクレームをつけない」という状況を知ってはいても、そうしてしまう日本人の心理に対する理解が足りないように思います。
私が推測する理由は次のようなものです。
・会話が面倒。使いこなせない言語でわざわざクレームするのは手間がかかります。
・ホテル側の対応が不明確。説明して納得させるには時間がかかるでしょう。相手側が対処できるとも限らないし、対処を嫌がる可能性もあります。クレームを拒絶された場合は、さらに不愉快な思いをするでしょう。
・ホテル側の担当者が、クレームを向けるべき相手かどうかも不明です。海外では担当者以外は「自分の仕事ではない」と主張するようですし、真摯に対応する相手であっても、その権限を持っているとは限りません。
・また、クレームをつけた場合、嫌な客と判断され、翌日以降のサービスが悪化する可能性もあるでしょう
・「帰国後の悪口」と書いていますが、逆に満足していれば好意的に書いていたはずです。そもそも、店への悪意ととらえるのが間違いで、単なる評価にすぎません。ただでホテルを宣伝してもらうこともできたのに、手を抜いたサービスをするから悪評につながるわけで、ホテル側の自業自得でしょう。
・それと、海外に限らず、日本国内であってもクレームをしない人間の方が多いと思います。これからも使い続けるならまだしも、一度だけ我慢して済むなら波風立てずに済ませ、次から別のホテルや店を選べば済むことですから。


続いて、ホテルへ求めるものについて。
・日本人が最初の客というわけではないだろうし、同様のクレームは他国人からもあがっていたでしょう。つまり、改善余地があると自覚しておきながら、放置していたという姿勢に問題があります。これは、誠実さに欠けるとの評価につながります。
・皆に同様のサービスができるのに、クレームをしない相手だからと放置しておくのは、同じ金額を受け取ってサービスに差をつけたことになります。「アメリカ人はクレームをつけるから優遇する」というのも、言い方を変えれば、クレームをつけない日本人を粗末に扱ってきたわけです。不公平な態度を取っているのだから、客に嫌がられるのは当然です。クレームが無くとも、日本人を優遇しておけば満足させることもできたでしょう。
・そもそも、「日本人が減った」という事態の背景には、それまでの間に「日本人が増えていた」はずで、大きな稼ぎを得てきたのに手を抜いていた、という企業の姿勢の方に問題があります。
・ブログに悪評を書かれたと主張するなら、ブログの不満点を解消するように努力し、改善した旨を宣伝すれば客寄せも可能でしょう。「悪口を言われた」で済ませてしまうから、日本人が離れていくのだと思います。
・「日本人が扱いづらくて迷惑」なら減ったことを喜べばいいし、「日本人に来て欲しい」なら日本人に好まれるように努力すればいい。「不満があったらなんで言わなかったんだ」と嘆くよりも先に、やるべきことはいろいろあるはずです。
・上げられた事例のように、実態と異なる宣伝をしたり、問題点を放置していたり、客を見て対応を変えるようなホテルは、根本的に日本人相手の商売に向いていません。その自覚がないから客離れを起こすのだし、日本人がクレームをつけたところで、その場限りのことで、クレームをし続けなければ改善されないと思われます。
「手を抜いた50%のサービスしか行わず、クレームに応じて100%に近づける」というのが海外では一般的なのかもしれませんが、日本人が店側に望むのは「いつでも誰が相手でも100%」のサービスであり、「150%を目指して改善していく姿勢」です。


それと、ブログはあくまでも個人的感想だから、嘘も間違いも個人差もあるわけで、それは読者も理解しているはずです。多くの人間がそう書いていたなら、他の日本人だって同様の感想を抱くことは予想できるし、回避するのが無難でしょう。事前に知った上で訪れた人間ならば、わざわざクレームもつけないし悪評も立てません。
そもそも、個人のブログの影響など微々たるものだし、問題視する事自体が間違いです。

屍鬼


 この作品も、一般人と超常存在との対決ですね。
 前半部は今ひとつでした。
 ひたひたと村に忍び寄る死……というのは、それなりに魅力を感じるのですが、私にはあいませんでした。
 まず、キャラが多いうえに同時進行していくために、人間関係などが把握できなかったこと。
 もう一つは、主要キャラなどに魅力を感じられなかったため。
 孤軍奮闘する尾崎敏夫以外、好きになれないキャラが目立ちました。
 清水恵は、ある意味で田舎にいる標準的な若者と言えそうですが、ただミーハーなだけで薄っぺらい人間に感じました。周りに馴染もうとしない結城夏野とか、身勝手三昧の村迫正雄も嫌いです。
 この作品が面白くなったのは、やはり、尾崎が起きあがりを証明し、人間側の逆襲が始まってからでしょう。


・結城 夏野
 原作だと起きあがらずに死亡とか。アウトロー的なヒーローなど、作品にそぐわないと思います。
 辰巳との戦いは、野暮ったかったですね。運動能力が向上しただけなのに、戦闘訓練もしていない人間がいきなり超人戦闘を行う作品が多いので、ある意味で現実的と言えるのでしょう。


・夏野父
 田舎暮らしの決行や夫婦別姓など、建前上の個性を優先しすぎていて、身勝手さが目立ちました。
 田中かおり・昭から預かったお守りを即座に捨てるというバカ行動のせいで、息子が殺されるという間抜けさには呆れました。オカルト嫌いを徹底して、お守りを受け取らなかったなら、ここまで嫌な印象は受けなかったでしょうね。


・夏野母
 夏野が死んだ途端に出て行ってそれっきりというのは、凄いキャラだと思います。

 
・大川富雄
 かっこ良かったです(笑)。
 車を持ち上げた時点で撃ち殺されていればその後の活躍も無かったんですけどね。尾崎以外はその他大勢が多かった中、存在感が際だっていました。

・婦人会?
 何の感慨も見せず、起きあがりの死体を始末していく女性陣が逞しかったです。


屍鬼
 私は一貫して人間側に感情移入していたため、屍鬼への同情心は皆無でした。
 例えば、藤子不二雄の『流血鬼』のように、血を吸われた人間が全て変容していくというのなら、共存できる可能性もあるし、全員が吸血鬼になるという選択肢も残ります。
 しかし、屍鬼では半分以上が起きあがらない上に、その後の生活に人の血が必須となると、これは徹底抗戦しか選択肢がありません。


・室井静信
 異種族間における争乱の物語の場合、終戦へ導く存在として融和を訴えるキャラが不可欠です。
 それを考えると室井 静信のようなキャラが登場するのは当然と言えるのですが、私がこの作品で一番嫌いなのがこの人でした。
 静信は、沙子以外の誰かを助けようと行動を起こそうとせず、ただ起きた事態を受け入れるだけです。許しを与えるのも、自分が納得するためです。
 なにより、同情心は屍鬼に対してしか向けられておらず、屍鬼に襲われて死んだ者や家族の苦しみは平然と無視しているように感じました。
 寺に逃げ込んだ時も、身内と言っていい人間が死んだと言うのに、殺した相手への怒りすら見せず、まるで動揺しません。自分が逃げ込んだことが原因だという自覚すらないようです。
 これで本人が利己的な人間だと自覚しており、周囲もそのような評価を与えていれば、印象が違ってくると思うのですが、物語上、理性的で穏和な人間扱いされたままなのが不満でした。
 なんの報いも受けることなく、共感した沙子と一緒に無事に逃げ延びたというのは、まるで納得できません。
 それに、今回はたまたま沙子だっただけで、「人間以外」の何かであれば誰でも仲間になっていたように思います。


・桐敷沙子
 面白いもので、沙子への悪印象は静信よりも軽いものでした。
 沙子は歩んできた人生も含め、人間の倫理観から外れた存在と感じているからです。彼女は最初から最後までただの化け物だから、人間の価値観や道徳観を求めるのが無理でしょう。
 人間を襲って屍鬼を増やす生活が、神への信仰に則っていたつもりのようですし、理解するのは無理というものです。

百花繚乱サムライガールズ


 歴史上の人物を美少女化するという、よくあるネタ作品のひとつ。……そんな作品でしたね。
 ありがちな設定や内容に終始していて、魅力に欠けた作品だと思います。
 主人公に強い剣士設定を与えておきながら、本人の活躍はほとんどないし、女性陣の積極攻勢にうろたえてばかり。兼続相手に無抵抗でやられた場面などは、幸村や千に「かばってもらうため」の舞台づくりにしか見えず、うんざりしました。
 行方不明者が多数発生しているというのに、事件の扱いが非常にぞんざいです。
 国全体の危機というわりには、舞台は学園という閉ざされた世界ですし。
 登場キャラが魅力的とも言えず、熱心に視聴する作品とはなりませんでした。
 第一話のプロローグで見た異国との戦争をイメージしただけに、物足りないという印象につながりました。
 そうそう。お手軽に又兵衛や半蔵と契約しなかったのは、一応プラス評価となり得ると思います。これ以降の展開は知りませんけど。


 この作品で深い印象を残したのは、時折画面を飾るあの墨痕です。
 局部を隠すための修正として、あるいは、戦闘中に舞う血しぶきの演出として。作品を象徴する際だった個性と言えるでしょう。
 空中を駆ける時に、足場として出現するのも面白かったですね。
 物語そのものにはつながらず、あくまでも視覚的な効果にすぎませんが……。


 最後になりますが、他作品に登場する「柳生義仙」について。
 私がこの名を知ったのは、隆慶一郎の『かくれさと苦界行』でした。
 冷酷無情な悪役として登場したのですが、主人公との対決に敗れた後の成長がすばらしく、この作品で一番魅力的な存在だと感じました。

相棒「聖戦」


 あらすじそのものは好きな傾向と言えます。
 日常的に犯罪に関わっていた人物でもなく、天才的な頭脳を悪用した犯罪者でもなく、ただの一般人が確固たる決意の元、努力と執念で殺人計画を練り上げるという流れは魅力的だったと思います。
 平凡な顔に隠された全く違う顔。杉下と犯人がにこやかに会話する場面で、同席している神戸が顔を引きつらせているのが笑えました。
 思い返してみると、金田一耕助とか金田一少年に登場する犯人も、過去の因縁が原因で復讐計画を練るというプロットなのに、私は「一般人」という認識を抱いていないようです。犯人が不明のまま進むため、連続殺人やトリックに焦点が向いているからでしょう。トリックの奇抜さや特異さから、犯人が優秀すぎると感じるのも原因だと思います。
 倒叙形式のため犯人が明かされており、犯行の手口を追いかけていくことで、事件よりも犯人に注意が向いた結果なのでしょう。
 また、被害者も含めて、明確な悪人が存在しないため、犯人の存在感が際だっていたことも一因と言えます。
 ところが……、序盤中盤に比べ、終盤が雑な作りだったのが残念でなりません。


 微妙な点について、以下に触れてみようと思います。
・「警察にバレなければいい」とこだわる理由が不明確。過去の事件が「完全犯罪として隠蔽されていた」なら、復讐の要素として扱うのも理解できるのですが。
・杉下の「どんなゲームにも終わりは訪れる」というセリフは、杉下本人が事件解決をゲーム視しているように思えるので、いささか微妙なセリフかと……。
・野球帽という切り札はすでに犯人が潰しているのだから、杉下の罠は不発であり、爆弾のありかがわかったのは運によるものと感じました。
・いきなり手錠をかけた妻の行動理由も不明です。それまでは殺そうとしていたのに、いきなり生かすことへ変更した理由が明らかになってません。犯人を生かしたいのなら、真っ先に爆破スイッチを奪い取るべきだと思います。なにより、相手が爆破をためらうと思い込んでいるのも不思議です。
・自爆を終着点と見ておきながら、ためらう理由もわかりません。爆破すると宣言しているのだから、邪魔しようとする刑事二人や、胎児の存在も無視して止めようとした妻は、爆破に巻き込まれる可能性があると自覚しているのだろうし、自己責任の範疇ではないでしょうか?
・杉下の説得が陳腐でした。あれなら、自爆して決着の方が作品としてまとまったんじゃないでしょうか?

SPECについて


 推理モノかと思いきや、蓋を開けてみるとSFでしたね。これはこれで私好みの作品なので、問題はありません。
ひぐらし」も私のお気に入りのひとつですから。
 しかし、投げ放しエンドが凄かったですね。
 いくつもの伏線をちりばめながら、根本的な箇所を明かさずに終わったのは作品の評価を下げる行為だと思います。
 あの手法が許されるのは、石川賢ぐらいでしょう。


 序盤のあたりでは、当麻と瀬文がやたらギスギスして、見ていてイライラしてきました。
 空気を読まない当麻の言動も、当麻の推理力を知りながら反発を見せる瀬文も、やたら否定的な志村の妹も含め、どのキャラも気づかいとか自制が乏しく思えて、どうも好きになれません。
 最終回を終えても、好きになれたとは言えませんし。


 敵側にも悲哀を持たせた方が、内容に深みが出るのはわかります。
 しかし、やり方が雑です。
 例えば、発病させるスペック持ち。
「能力を持っている人間は家族まで殺される」というバカ主張していますが、スペックホルダーのリストに「乗っているだけ」で殺された人間は出ていませんし、家族だって無事なようです。
 処刑された者が殺される事例のほとんどは、「能力を使って犯罪を犯している」からでしょう。
 我欲を満たすために、法律の適用されない能力を使っておいて、何を偉そうに語っているのやら。
 人を救いたいのに「病を処方する能力を与える神は残酷だ」との主張も、能力を「使わない」という選択をしない時点で破綻しています。自分の意志で人を病人にしておいて、被害者ぶる態度は呆れるしかありません。
 このあたりは、「自覚のないスペックホルダーの存在すら知られている」ことと、「能力を悪用するよう強制する存在」が明らかにならない限り、ただの自業自得ではないでしょうか?


 ケイゾクを見た人間なら、誰もが「左利き」は怪しいと睨んでいたのではないでしょうか。
 それを考えると、途中で接触したサイコメトラーが、まったく読みとれないのも不思議です。


 未詳の二人の活躍もそうですが、スペック持ちを相手に暗躍して優位を保っていた公安零課や、スペックホルダーを操って暗躍するメジャーの存在など、一般人の組織が知恵や組織力で対抗していくのは面白かったです。
 その一方、極端に雑な点があって、スペックホルダーを相手に直接顔をあわせるという危険をわざわざ冒すのは間抜けすぎます。
 運動能力持ちや念動力持ちに、対処方法を講じずに対峙する意味がわかりません。


 ちなみに、ニノマエの時間停止(正しくは超加速)は、それなりに攻略可能だと思ったので、扱い的に不思議でした。
 DIOとは違って肉体的には人間なのだから、ほんのすこしだけタイムラグが発生すればいいわけです。発動は任意のようでし。
 狙撃してしまうとか、眠っているうちに神経ガスを嗅がせるとか、火で取り囲むとか。
 能力では対処できないように、高所からつき落とすのもありでしょう。
 それと、能力の正体が超加速だというなら、弾丸を跳ね返したり、瀬文まで動けるようになった理由が説明できてないように感じました。


その他、不満な箇所を書き記しておきます。
・憑依能力者は、本体が瀕死になったらマズイわけだから、正体がばれたら逃げ切るのは不可能でしょう。なんであんなに偉そうなんだ?
・ニノマエの能力を強力と言っていたわりに、最後に超加速が何人も出ていたのはなんで?
ブブゼラ使いはほったらかし?
・サブコードってなに?
・津田助広が、スペックホルダー側と、対スペックホルダー側にいるのはなんで?
・瀬文の奥歯って、思わせぶりに登場した割に、無意味すぎるのでは?
・洗脳持ちが「百年の孤独」とか言ってるけど、百年はどこから出てきたんだ?
・瀬文を誘導していたのは、憑依能力者で被っているわけ?
・それまで推理だったくせに、最後はSPECだより?

探偵オペラ ミルキィホームズ


 正直に言います。
 第一話を見た時の感想は、「活躍できていたのは、全てトイズのおかげかよっ!? 知識や技能もまったくないくせに、探偵なんか名乗ってんじゃねぇ! 探偵なめんな!」ってなものでした。
 これまでの功績を全く無視するような、周囲の掌返しぶりも腹立たしかったですし。
 たしか、昨年あたりに「そらのおとしもの」の第一話を見たときも、似たような感想を抱いた覚えがあります。ギャグアニメを真面目に捉えて不満を感じるという……、微妙にズレた形ですが。


 今になって振り返ると、ギャグアニメとしては王道的内容だったし、演出面では非常に光ってましたね。
 最終回あたりは、力のいれ所と抜き所が完璧で、「全力でバカをやった」という良さに溢れていたと思います。
 第一印象が悪かったことから、とびとびでしか見なかったのが悔やまれます。
 ちなみに、「波打ち際で倒れたシャロが波にさらわれると思いきや、水中で気絶した二人が打ち上げられて三人に増えた」ネタがお気に入りです。
 それと繰り返しネタの天丼も上手かったですね。


 せっかく面白い最終回だったのに、最後の最後で登場した森・アーティはなんであの声? すごいもったいないと思います。

検事・鬼島平八郎について


 はっきり言って1話目から期待はずれだったし、9話と最終回は見るのも億劫に感じていたことから、キョウになってようやく視聴しました。
 事件を終える度にひとつひとつ上へ切り込んでいくという構成は面白いのですが、それを盛り上げるための装飾が非常に薄く、物語としての魅力に欠ける作品だったと思います。
 しかし、……これが「ABC創立60周年記念ドラマ」?


 キャストは頑張って揃えたのかも知れませんが、もう少し脚本に力を入れるべきではないでしょうか。
 せっかく検事を主役に据えているのに、捜査や裁判が焦点になっておらず、「証人をどうやって説得するか」という人情話に終始しているため、全体的にお粗末な内容だったと思います。
 盛り上げるはずの演出が、使い所を間違っていたり、肩だったりと、プラスと呼べる要素が非常に少ないです。
 各話にあるどんでん返し的な箇所も、ありがちなネタなうえ、それ以外には見所と呼べるモノがありません。
 清掃員の板尾とか弁護士のたけしとか、曰くありげに登場しながら、まるで本筋に関わっていないのも凄いですね。
 同じく検察モノのため、どうしても「HERO」と比較してしまうのもマイナス評価につながりました。