SPECについて


 推理モノかと思いきや、蓋を開けてみるとSFでしたね。これはこれで私好みの作品なので、問題はありません。
ひぐらし」も私のお気に入りのひとつですから。
 しかし、投げ放しエンドが凄かったですね。
 いくつもの伏線をちりばめながら、根本的な箇所を明かさずに終わったのは作品の評価を下げる行為だと思います。
 あの手法が許されるのは、石川賢ぐらいでしょう。


 序盤のあたりでは、当麻と瀬文がやたらギスギスして、見ていてイライラしてきました。
 空気を読まない当麻の言動も、当麻の推理力を知りながら反発を見せる瀬文も、やたら否定的な志村の妹も含め、どのキャラも気づかいとか自制が乏しく思えて、どうも好きになれません。
 最終回を終えても、好きになれたとは言えませんし。


 敵側にも悲哀を持たせた方が、内容に深みが出るのはわかります。
 しかし、やり方が雑です。
 例えば、発病させるスペック持ち。
「能力を持っている人間は家族まで殺される」というバカ主張していますが、スペックホルダーのリストに「乗っているだけ」で殺された人間は出ていませんし、家族だって無事なようです。
 処刑された者が殺される事例のほとんどは、「能力を使って犯罪を犯している」からでしょう。
 我欲を満たすために、法律の適用されない能力を使っておいて、何を偉そうに語っているのやら。
 人を救いたいのに「病を処方する能力を与える神は残酷だ」との主張も、能力を「使わない」という選択をしない時点で破綻しています。自分の意志で人を病人にしておいて、被害者ぶる態度は呆れるしかありません。
 このあたりは、「自覚のないスペックホルダーの存在すら知られている」ことと、「能力を悪用するよう強制する存在」が明らかにならない限り、ただの自業自得ではないでしょうか?


 ケイゾクを見た人間なら、誰もが「左利き」は怪しいと睨んでいたのではないでしょうか。
 それを考えると、途中で接触したサイコメトラーが、まったく読みとれないのも不思議です。


 未詳の二人の活躍もそうですが、スペック持ちを相手に暗躍して優位を保っていた公安零課や、スペックホルダーを操って暗躍するメジャーの存在など、一般人の組織が知恵や組織力で対抗していくのは面白かったです。
 その一方、極端に雑な点があって、スペックホルダーを相手に直接顔をあわせるという危険をわざわざ冒すのは間抜けすぎます。
 運動能力持ちや念動力持ちに、対処方法を講じずに対峙する意味がわかりません。


 ちなみに、ニノマエの時間停止(正しくは超加速)は、それなりに攻略可能だと思ったので、扱い的に不思議でした。
 DIOとは違って肉体的には人間なのだから、ほんのすこしだけタイムラグが発生すればいいわけです。発動は任意のようでし。
 狙撃してしまうとか、眠っているうちに神経ガスを嗅がせるとか、火で取り囲むとか。
 能力では対処できないように、高所からつき落とすのもありでしょう。
 それと、能力の正体が超加速だというなら、弾丸を跳ね返したり、瀬文まで動けるようになった理由が説明できてないように感じました。


その他、不満な箇所を書き記しておきます。
・憑依能力者は、本体が瀕死になったらマズイわけだから、正体がばれたら逃げ切るのは不可能でしょう。なんであんなに偉そうなんだ?
・ニノマエの能力を強力と言っていたわりに、最後に超加速が何人も出ていたのはなんで?
ブブゼラ使いはほったらかし?
・サブコードってなに?
・津田助広が、スペックホルダー側と、対スペックホルダー側にいるのはなんで?
・瀬文の奥歯って、思わせぶりに登場した割に、無意味すぎるのでは?
・洗脳持ちが「百年の孤独」とか言ってるけど、百年はどこから出てきたんだ?
・瀬文を誘導していたのは、憑依能力者で被っているわけ?
・それまで推理だったくせに、最後はSPECだより?