「アンチ士郎」と誤解されて戸惑っている件


>掲示板で突っ込むと拗ねそうだからこっちで書くと結局士郎アンチなんじゃん


Web拍手で上記のようなコメントがありましたので、取り上げてみます。
(ちなみに、掲示板で拗ねた記憶はありませんけど)
士郎が好きなことが原因で非難されたり、本当に士郎が嫌いで非難されたのならば納得はできます。
しかし、「士郎が嫌いだと誤解されて非難される」のは、さすがに理不尽だと感じました。
どうも、昨日の日記が発端のようですが、予想もしない受け止められ方だったので本当に驚きました。
真九郎ファンからの苦情ならありえると考えていましたが、まさか、士郎ファン(?)から批判を受けるとは。
昨日の日記の内容は転記しませんが、事例としてあげた意図が全く理解してもらえなかったので、補足しておきたいと思います。
アレは、「実力に欠ける主人公が無茶な行動をした場合」の2例をあげたもので、そのうち受け入れづらかったのが真九郎であり、受け入れられたのが士郎という対比です。
そんなにわかりづらい文脈だったのでしょうか?


ゲーム「Fate」の士郎について、プレイ中の印象は下記のように変わりました。


1)実力も伴わないままサーヴァント同士の戦いに介入する士郎にイライラ。
バーサーカーに斬られたり、屋上まで追いかける展開です。
  ↓
2)ただ一人生き残ってしまった過去があり、自分よりも他者を優先する行動に納得する。
どのあたりで判明したか、ちょっと記憶にありません。
  ↓
3)過去のやり直しすら否定して、今の自分を肯定したのに驚かされる。
意見のぶつかっていたセイバーすら納得させる、士郎の名場面ですね。
  ↓
4)誰に否定されようとも、自分の理想を貫く士郎に感動する。
“自分自身”に否定されても、幼い頃に憧れた夢を追い求める姿。あれには泣かされました。
Fate」プレイ中には何度か泣いたものですが、ここほど泣いたシーンはありません。
  ↓
5)理想ではなく、一人の少女を守ろうとする士郎に、「まあ、こんなのもアリかな」……と(笑)。
桜ルートについてですね。


で、昨日例にあげたのは、1)と2)に関する印象です。
真九郎の活躍シーンが登場していないので、そこまでの比較しかできませんから。
昨日の日記を読んで「士郎が好きではない」と誤解する余地はあるでしょうけど、それを「士郎が嫌い」と結びつけるのはあまりに短絡的です。
士郎の行動原理は理解できても、イライラぐらいはするでしょう。私はしました(笑)。


私が掲示板に書き込む「士郎が好きだ」というコメントは無視されて、滅多にない否定的な書き込みばかり重視されるので、なぜそこまで偏った受け止め方をするのか不可解でなりません。
(私が書いている「Fate」SSも、そのほとんどが主役は士郎ですし)
それとも「士郎アンチ」という言葉の解釈を、私は間違っているのでしょうか?