怒りの表現について


 少年マンガにおいて、「窮地に陥った主人公が怒りに燃えて逆転劇」というのは最大に盛り上げるシーンだと思います。
 今週のサンデーに掲載された「金色のガッシュ」を読んで触れてみることにしました。


 自分自身すら犠牲にしてガッシュを守った清麿はついに倒れてしまう。彼の意志を汲んだ仲間達が戦いに敗れていく中、最大の窮地に回復を終えた清麿が再び戦線に復帰した――。
 まさに、少年マンガの王道的展開。
 数週前の回で見せた清麿の怒りの表情は、角や牙を生やしたイメージ映像(笑)でした。
 さらに今回では、敗った敵に仲間を嘲弄されて、再び怪物的な形相を浮かべた清麿が怒濤の連続攻撃。BGMにドンドコドコドコと太鼓の音が聞こえそうなアジア的なデザイン(笑)です。


 これまでシリアスに進めてきた流れのクライマックスとして、この演出はインパクトが絶大です。
 残念ながら私は爆笑できなかったものの、非常に興味深く感じました。
 本来であれば、シリアスに決めればそれだけで最大の見せ場となるはずで、ギャグを入れるというのは大博打です。一歩間違えれば全てを台無しにするわけで、よほどの自信がなければこのような演出は不可能でしょう。
 これまで、硬軟交えて物語を構築してきた雷句誠の真骨頂というべきなのかもしれません。


 怒りによる逆転劇は、普遍的な魅力があるからこそワンパターンとなりえた話展開で、戦闘シーンの含まれるマンガでは必ずと言っていいほど挿入されると思われます。
 しかし、あまりに多いからか、あえて事例を挙げようとしても「デビルマン」ぐらいしか思いつきません。怒りの対象が、個人や組織どころではないので、強烈に記憶に残っているのでしょうが(笑)。


 怒りの表現として、もうひとつ興味深いネタがあります。それは、マンガ「烈火の炎」。
 単行本を持っていないため記憶だよりになるのですが、作中――。
 烈火の前に立ちはだかる木蓮が、姫に加えられている拷問を自慢げに語る。その話を耳にした烈火は激怒し、その怒りようにおびえた風子が思わず木蓮に謝るよう助言する。
 通常、主人公と仲間は同じような意識を共有します。あえて対比させるならば、皆が途方に暮れる中で主人公が激情にかられて突き進んだり、逆上する仲間と違って主人公が冷静を取り戻すとか。
「烈火」で特異なのは、本来仲間であるはずの風子が、かつてない烈火の怒りようにうろたえて、怒りを鎮めるために敵側をなだめる事。仲間ですら脅えさせるという演出は、非常に印象深いもので、私は他の作品で見たことがありませんでした。