修羅の刻(雷電編)

 月刊マガジンにて連載中の「海皇記」ですが、新展開へのインターバル中に、修羅の刻雷電編)が連載となりました。
 2ちゃんねるの該当スレでは、作中に登場した陸奥兵衛の父親が誰かというテーマで論議されていました。残念ながら私の推測と反対の意見が大勢を占めていたため、私の感想を書き込んでみたいと思います。
 久しぶりに書く日記がこういう内容というのもなんですが……。


 まず話の展開について。
 伝説の力士・雷電の前に姿を見せた陸奥左近とその娘葉月。だが、左近は雷電の未熟さを指摘し、後日の再会を約束する。だが、雷電が再び対決を望んだ時には、すでに左近は帰らぬ人となっており、葉月は女であるため体格や力に劣り「陸奥」を名乗ることも許されていなかった。
 その20年後、葉月は一人の男を伴って雷電の元を訪れる。その男の名は、――陸奥兵衛。


 作中、兵衛が母親である葉月に「ひょっとしてオレの親父はこの雷電か?」と質問したシーンがあり、それが、この論争の元になったようです。
 わざわざこのセリフを出した以上、「兵衛の父親が雷電だ」というわけです。
 明言しますと、私は反対派――つまり、「兵衛の父親は雷電ではない」と思っています。
 正直なところ、この説を目にした時には驚きました。まったく想像もしなかったためです。その理由を下記に述べていきたいと思います。


1)葉月と雷電の関わりが薄いこと。
 実際に二人が顔を合わせたのは、一度目の出会いと、二度目に軽く仕会った時のみ。心の交流も乏しく、この程度で子作りをするというのは無理があると思います。


2)雷電の性格。
 雷電の望みは強者と戦うことではなく、(自分が土俵で殺した相手の息子に対する贖罪として)強者に殺されることでした。この場合、自分を殺す人間を育てるために子作りすることになります。
 もしかすると葉月はすべてを知った上で雷電の子供を産むという選択を取るかもしれません。しかし、雷電は木訥な純粋すぎる男で、親(自分)殺しを目的として、子供を産ませるという行動は取らないと思います。


3)葉月の自負。
 葉月は、女であるという理由で陸奥と認められない事に涙を流して悔しがりました。その葉月が、陸奥の力を証明したいはずの雷電に、手を借りるというのは本末転倒と思えます。
 葉月が一人では為し得ないと思われる難題をどのように解決するか? というのも、この話の肝だと思っています。私は「葉月がさらに鍛え込む」か、「誰かに陸奥の技を叩き込む」の二択だと私は考えていました。最初に兵衛を見たときは、陸奥に婿入りすることを前提に技を習った男だと私は思いました。葉月がフケていなかったもので、まさか子供だったとは……。


4)「20年待て」の宣言と、20年後の再会の演出。
 もしも、葉月と雷電がコトに及んだとすると、「20年待て」発言のあとに、「強力な子供を産みたいから手を貸して欲しい」となります。これでは流れ的におかしいでしょう。
 そして、兵衛が二人の子供だった場合、雷電にとっては予定調和として倒すべき相手がやってきただけにすぎなくなります。
 ここの演出としては、「葉月はどうやって約束を果たすのか?」という疑問と、果たすべき義務がないにも関わらず現れた葉月の意気に感じる場面だとおもいます。


5)兵衛の質問に対する葉月の対応。
 確かに何の事実もないのに、「雷電が父親」という言葉が出てくるのはおかしいと思います。しかし、前述の通り2度の邂逅だけではあまりに関わりが少なすぎます。
 ただし、3度目の再会の時は状況が異なります。葉月にとっては強者である雷電との約束は非常に重要でしょうし、彼女にとってこの20年間は、雷電との約束のためにあったのだと思います。
 それを考えると、思いがけない兵衛の指摘から、客観的には雷電に恋い焦がれていように見えると気づいた――もしくは、自分の本心を知った。と私は解釈しました。



 ふと思ったのですが、葉月が強い子供を生むとしたら、強い相手を捜すのだろうとごく自然に考えました。……ですが、これは非常にビミョーですね。
 例えば、陸奥八雲の相手は詩織であり、陸奥出海の場合は混血の少女(名前は覚えてない)です。強い子孫を残すために、強い相手を求めてなどいません。それなのに、女である葉月の場合に限って、強い伴侶の必要性を感じるというのは、無意識におこなった男女差別なのでしょうか?


P.S.
 親子関係がありながら主人公がその事実を知らない作品というと、私は「さよなら銀河鉄道999」しか記憶にありません。