「クラナド アフターストーリー」の13話について


 第12話についてですが。
 娘の育児放棄をするのは、「妻を亡くした喪失感」が理由ならば、許されるのでしょうか?
 岡崎の行動が、まわりから許されているように見えて、ひどく不快に感じました。
 無気力で癇癪を起こしそうな岡崎と暮らさずに済んだのは、結果的に、汐のために良かったとは思いますけど。


 オモチャにこだわる理由が、「父親に買ってもらった」からなのは一目瞭然だし、引っ張るほどでもないと感じました。


 祖母による説明は、父親への同情や共感はできても、いいわけになっていないと思います。
「一緒に暮らすため」というのは聞こえがいいものの、ただ「暮らしていれば」いいわけではないでしょう。
 一緒に暮らす事で子供に辛い思いをさせるなら、別れて暮らすのも一つの選択です。
 それを考えると、岡崎の方がマシなのかも。


 最終的に、岡崎は汐を受け入れたわけですが、これが汐みたいな子供でなかったらどうなっていたでしょう?
 もっと騒がしくて、反抗的な子だったり。
 よそよそしくて、相手の顔色を窺う子だったり。
 岡崎は子供に慣れていないようですし、汐が健気で無邪気でおとなしかったから、嫌わずに済んだのではないでしょうか?


 こうして嫌な解釈ばかりをしてきましたが……。
 それでも、泣きました。
「泣いていいのがトイレだけ」という話を、こうして引っ張ってくるとは思いもしませんでした。
 あれは泣けます。


 会話主体となると、京都アニメーションの演出とか、画面の作り方が非常に引き立ちますね。
 アクションや物語を主体にすると、埋もれてしまいそうな映像表現が、「クラナド」みたいな日常を舞台にした作品だと上手く作用しています。
 これだけの技術や感性を持つ会社に、「無駄な仕事」をさせとくのは非常にもったいないと感じました。